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関東支部
4月例会レポート
更新日:2014年6月30日
 
■開催日:2014年4月15日火   時間18時30分〜
■場 所:霞が関東海倶楽部
■テーマ:「ことばの海 ことばの山」
■講 師:矢彦(やひこ)孝彦氏
 
講師の矢彦氏と私は長野県松本市の高校の同期である。つい最近東京の同期会で出会うまで声を交わしたこともなかったし、顔さえおぼろげだった。新潮社の校閲部長という重職を退職した今、かえって校閲の依頼で忙しいという。長い経験もあり面白い話が聞けそうだと、講師をお願いした。
作家の想像力や考えが本という形にたどり着くためには、多くの専門的な知識や技術の協力が必要だ。それはどんな分野の制作物についても同じこと。本でいえば編集・デザインがすぐ浮かぶ。そして校閲(校正)がある。内容の間違いをチェックし、クオリティを高める役目だ。作家の意思に反する間違いが多ければその成果物は信用を失ってしまう。矢彦さんは作家の塩野七生さんなどからご指名を受ける校閲者だ。

時代小説では特に用語の適否に関して時代考証が必要となり、また推理小説では、物語を構成する人物・場所・時間等の場面設定に矛盾がないか、精読する必要がある。
言葉の意味のとらえ方の問題もある。
例えば「流れに棹を差す」。本来の意味は、川の流れに乗って進む舟に棹を差すことでさらに勢いをつける意味から、順調に事が運ぶこと、時流に乗ることのたとえ。ところが現在は本来の意味とは逆に、流れに逆らって勢いを失わせる意味で使われることが多い。
「斜に構える」は、本来は剣道の構え(上[垂直]・中[斜め]・下段[水平])の中段の構えで、お互いが向き合う際の最も基本となる姿勢。そこから「改まって身構える、しっかりと真剣な態度で臨む」の意味だ。ところが「斜」という字の一般的な悪いイメージのせいで、現在では逆に「素直でない、ひねくれた目で世の中を見る」といった意味で使われる。
こうした例はいくつかあるが、例えば「役不足」や「気が置けない」などは従来通りの用法がふさわしい。

 話は著名作家の生原稿にも及んだ。
ユニークな剣豪小説作家・五味康祐さんは遅筆。出版社で用意した部屋に閉じ込め執筆してもらっていたが、大の巨人ファン・将棋好きで集中できず、なかなかはかどらなかった。でも最後には「原稿通りにしてくれたまえ」と渡された。難しい字がいっぱいあったが、訂正箇所は原稿をハサミで切って貼って修正してあり、完璧な原稿だった。
池波正太郎さんは、まず原稿執筆が速かった。総ルビで、改行や1行アキなど赤鉛筆で指示してあって、編集者・校正者・印刷者にとってはありがたかった。
司馬遼太郎さんは、原稿用紙の真ん中に書いて周りに修正や加筆を入れた。それがだいたい1枚400字程度になった。引き出し線は赤・緑・ピンクなどカラフルで楽しい原稿だった。
塩野七生さんは、万年筆でかなり書き直しが入った原稿だが、1巻およそ700枚〜1000枚にも及ぶ生原稿には、作家の力強さと勢いを感じさせるものがある。

矢彦氏には気になっていることがある。
校正・校閲が机上の仕事になる傾向が強まっていることだ。だんだんと文字だけを気にする校正・校閲者が増えてきた。例えば文字の統一などに気を取られ、作者の筆の勢いを削いでしまうこともある。本来の仕事は、著者が言わんとすること、編集者が意図することを理解しフォローすることだ。
それにはなるべく多くの人と接し、話を聞くことが必要で、今生きている時代を感知することだと主張する。それは校正・校閲者に限ったことではない。杓子定規な考え方や仕事の仕方がだんだんと幅を利かせ、創造性や柔軟性が敬遠される風潮への警鐘でもあった。
先に述べた言葉の意味の違いを矢彦氏は気にしないという。現在に通用するのであれば、作者との了解のもと本来の意味をかたくなに固執する必要はない。「言葉は生きている。日々変化する。そこに注目したい」。
矢彦氏は10年にわたって全国66カ所の一宮を巡り、歌を添えた「一首一宮」を最近自費出版した(イナンナに贈呈してくれた)。好評だという。そして園芸分野での造詣も深い。奥深い幅広い粋人である。
川上一郎/サポーター