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関東支部
1月例会レポート
更新日:2014年6月29日
 
■開催日:2012年1月24日火   時間18時30分〜
■場 所:霞が関東海倶楽部 (霞が関ビル35F)
■テーマ:「ベンポスタが人とひとをつなぐ」
■講 師:星野 弥生(ホシノ・ヤヨイ)氏
 
講師プロフィール
1948年東京生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒。スペイン語の翻訳・通訳。
1990年に公開されたドキュメンタリー映画「ベンポスタこども共和国」の翻訳をきっかけとして、スペインにあるこどもの共同体「ベンポスタ子ども共和国」の駐日大使となる。
「キューバ友好円卓会議」「コスタリカに学び平和をつくる会」などのメンバー。「ピースボート」で、通訳やコーディネータとして、ラテンアメリカ諸国を数回にわたり周る。
住んでいる地域である世田谷では、世田谷ボランティア協会常務理事、「せたがやチャイルドライン」運営委員長などとしてボランティア活動に参加している。

■原点、スペイン
「ベンポスタこども共和国」のことは知らなかったが、ジャーナリストであり、様々な社会活動をしている星野弥生さんの話を聞いているうちに、何か不思議な感覚に囚われてしまった。それもそのはず、いわゆる団塊の世代であるという共通性から生じていて、時代をさかのぼって霧の中にいるような感覚だった。スペイン革命、カタロニア讃歌、フランコ政権といった言葉に、アラン・レネの映画「戦争は終わった」などを想起し、まさに星野さんがありきたりの就職を拒否して、フランコ政権下の政府給費留学生としてスペインで過ごした1975年までの時間を、空間を超えて共有しているように感じられた。
 それはさておき、星野さんはこのスペイン体験が基になって、「ベンポスタこども共和国」と関わっていくことになる。ドキュメンタリー映画「ペンポスタこども共和国」の制作や上映に深く関わり協力を惜しまなかった。「ベンポスタこども共和国」について星野さんの言葉を借りて触れておこう。

■自由と自治のこども共和国
1956年の9月、スペインのガリシア、オレンセ市郊外に、シルバ神父が15人のこどもたちと一緒に「少年の町」を創りました。フランコ政権の真只中に、その体制と相反する「民主主義」に基づくこどもたちの「自治の国」を建てたのでした。こどもたちの中から「市長」を選び、「住民総会」で直接民主主義を行い、敷地内の学校に通い、工場や畑で仕事をし、宿舎で共同生活を送る。ベンポスタの中では独自の「コロナ」という通貨を使っていました。10年目にはベンポスタの中に「サーカス学校」をつくり、サーカスに平和のメッセージを託して、こどもたちは世界中を公演して回りました。
日本で広く知られるようになったのは、89年にドキュメンタリー映画「ベンポスタこども共和国」を製作した時から。私は、その翻訳、編集、字幕制作、はたまたチケット売り、とめいっぱいタダ働きをし、次第にこの国にのめり込み、気がついたら「ベンポスタ駐日大使」に任命されていました。93年には85人のベンポスタ人を草の根のサーカス実行委員会が招聘し、59日間、全国9カ所でサーカス公演を行いました。この時の実行委員長を引き受けてくださったのが作家の井上ひさしさんでした。
 その後95年に阪神・淡路大震災が起こり、まちの復興を願い、被災者たちを元気づけるために長田区の鷹取でお祭りを開催した際に、シルバ神父以下15人をベンポスタから呼んで「人間ピラミッド」の演技をしてもらいました。それが、彼が日本に来た最後でした。

■考えを共有する人たちのつながりを豊かに
10年くらい前からは、ベンポスタもこどもたちがいなくなり、次第に閉鎖状態となってしまった。シルバ神父は、建国55年目の昨年の9月にはベンポスタで数年を過ごした多くの日本の元こどもたちに来て欲しいと願っていたという。またもう一度彼を呼んで話をしてほしいと星野さんも願っていた。しかし残念なことにシルバ神父は昨年9月2日に逝去、お互いの願いは果たせなかった。
ドキュメンタリー映画「ベンポスタこども共和国」の青池憲司監督は、阪神・淡路大震災、東日本大震災の被災地ドキュメンタリーを撮り続け、星野さんも被災地のことを思う想像力や共感を大事にしようとシンポジウムを開催するなど現在も一緒になって活動をしている。共和国の理念や体験が人生の大きな道を拓いてくれた。「ベンポスタこども共和国」の感動的なサーカスの演技「人間ピラミッド」に託した「強い者は下に、弱い者は上に、こどもはてっぺんに!」という世界を現実のものにするのが本当の「変革」。それはいつまでも星野さんの「スローガン」であり続けるのだろう。
サポーター:川上一郎